伊予松山城
伊予松山城
■概要■
現存12天守の城のひとつ。伊予松山藩主の居城
■見どころ■
現在の天守は、天明4年(1784)に落雷により焼失した天守を35年かけ安政元年(1854)に再建したもの。21棟の建物が国の重要文化財に指定されている。
■歴史■
慶長7年(1602年)に加藤嘉明により築城を開始し、翌年「勝山」と呼ばれていた地名を「松山」と命名。寛永4年(1627年)に城の完成前に嘉明は会津藩へ転封となり、代わって蒲生忠知が松山藩主となり、城を完成させた。寛永11年(1634年)参勤交代の途中に忠知が急死し、蒲生家は無嗣断絶となる。大洲藩主の加藤泰興が松山城在番となり、翌年に徳川家康の甥・松平定行が入封し、幕末まで松平家が藩主となった。
■逸話■
幕末の松山藩は親藩のため幕府側に付き、慶応元年(1866年)の長州征討にも四国の藩で唯一出兵し、戊辰戦争では朝敵とされた。恭順派と抗戦派が対立するが、新政府軍と交渉し降伏。松山城は土佐藩兵に接収された。
■観光情報■
| 所在地: | 愛媛県松山市丸之内1 |
| アクセス: | 路面電車 大街道電停 徒歩約5分 ロープウェイで山頂駅へ |
| 御朱印/御城印など: | あり |
| オフィシャルサイト: | あり |