高松城
高松城(玉藻公園)
■概要■
日本三大水城のひとつ。藩主の居城。
月見櫓・水手御門・渡櫓
天守台
鞘橋
披雲閣
艮櫓
■見どころ■
北ノ丸跡の最北端にあり、延宝4年(1676年)建立の月見櫓、隣接して月見櫓と同時期の建築とされ解体修理に伴う調査によって幕末頃に建替えられたと推定される水手御門、同じく同時期の建築とされる渡櫓がある。東ノ丸跡の北東隅に延宝5年(1677年)に建てられた艮櫓は、昭和42年(1967年)に現在地の太鼓櫓跡へ移築された。天守台跡、昭和期に解体修理された鞘橋、藩主の住居で大正6年(1917年)に建て替えられた旧松平家別邸・披雲閣などがある。
■歴史■
天正15年(1587年)に讃岐国の領主となった生駒親正により築城。寛永17年(1640年)生駒氏が改易になると、代わって水戸藩初代藩主・徳川頼房の子、松平頼重が高松藩主となり、以降幕末まで松平氏の居城となった。現在残っている高松城の遺構は、松平氏時代に改修されたものという。
■ガイドパネル■
天正15(1587)年に讃岐1国を与えられた生駒親正は、翌16年「野原」と呼ばれていた当地を「高松」と改め、高松城の築城を開始しました。天守も生駒時代に造られており、天守台石垣からは生駒家の家紋が彫られた石材が見つかっています。生駒氏の治世は寛永17(1640)年のお家騒動による転封まで4代54年間にわたりました。その後寛永19(1642)年に松平頼重が入封し、寛文10(1670)年から天守の改築、東ノ丸・北ノ丸の新造といった事業を実施しました。2代藩主頼常の代いは、月見櫓や艮櫓の建造、大手の付け替え等が行われ、概ね現在の高松城の形が出来上がります。その後、明治3(1870)年に廃城されるまで、11代にわたり松平家の居城として、東讃岐における政治の中心的役割を果たしてきました。明治期に入ると、外堀は埋め立てられて市街化が進み、海に面していた城郭の北側も埋め立てられます。また、中堀よりも内側は兵部省(のち陸軍省)の管轄となり、城郭建物の多くは破却され、天守も老朽化w理由に明示17(1884)年には解体されています。明治23年(1890)に再び松平家に払い下げとなったのちに、天守の解体された天守台には初代藩主頼重を祀った玉藻廟が建てられました。昭和29(1954)年に高松市の所有となったのち、昭和30(1955)年には国史跡に指定され、玉藻公園として市民に開放され、現在の姿になっています。
■観光情報■
| 所在地: | 香川県高松市玉藻町2−1 |
| アクセス: | JR予讃線高松駅徒歩約5分 |
| 御朱印/御城印など: | あり |
| オフィシャルサイト: | あり |