旅と史跡の記録

坂本龍馬・お龍「結婚式場」跡碑

坂本龍馬・お龍「結婚式場」跡碑

■概要■

坂本龍馬とお龍(鞆)が内祝言を挙げた地

■見どころ■

青蓮院の旧境内で塔頭・金蔵寺跡という、道沿いに碑が建てられている。

■ガイドパネル■

当地は青蓮院の旧境内で、その塔頭金蔵寺跡です。元治元年(1864)8月初旬、当地本堂で、坂本龍馬と妻お龍(鞆)は「内祝言」、すなわち内々の結婚式をしました。龍馬とお龍(鞆)の出会いや「内祝言」の具体については、1893年(明治32)ごろに聴きとられた、彼女の回想に詳しい。お龍(鞆)は1906年まで生きていました。一般には、慶応2年(1866)1月の伏見寺田屋遭難のあと、西郷隆盛(あるいは中岡慎太郎など)の媒酌で二人は夫婦の契りを結んだようにいわれます。が、この話は根拠が薄く、他の史料との検討からお龍(鞆)の話をこそ信用すべきだと思われます。この地が選ばれたのは、お龍(鞆)の亡父楢崎将作が青蓮院宮に仕えた医師であったためでしょう。その縁により金蔵寺住職智息院が仲人をつとめました。当時は池田屋事件(6月)や禁門の変(7月)のおきたあとで、京都は物情騒然でした。しばらくして龍馬は、薩摩島津家から望まれ、長州毛利家との和解に奔走します。龍馬は新婚生活を楽しむいとまもなく、お龍(鞆)を寺田屋などに託します。二人はながく別居夫婦だったのです。当地を京都における龍馬とお龍(鞆)の重要史跡として、ここに建碑します。

■観光情報■

所在地:  京都府京都市東山区三条通白川橋下る五軒町東入五軒町106−20 
アクセス:  地下鉄東西線東山駅徒歩すぐ 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: なし