旅と史跡の記録

伏見奉行所跡

伏見奉行所跡

■概要■

鳥羽伏見の戦いの際、会津藩や新選組等の旧幕府軍の本陣となった

■見どころ■

団地の一角に碑が建てられている。また一部石垣が残っている

■ガイドパネル■

伏見は、江戸時代、幕府の直轄領だった。宿場町としても規模が非常に大きく、宇治川・淀川と高瀬川とを中継する川港としても大いににぎわった。伏見城を廃した幕府は、この地に伏見奉行所を置き、伏見町及び伏見廻り八か村と葭島新田を治めた。その範囲は、ここ西奉行町・東奉行町から南は桃陵中学校にいたる広大なもので、正門は西側にあった。正門の南北には石垣の上に白壁が続き、南北2つの櫓がそびえていたと伝わる。伏見奉行は、伏見町の司法・行政だけでなく、川船の監督、管轄する農村からの年貢徴収なども短刀した。そのため、江戸幕府の遠国奉行としては上席に位置し、旗本よりも大名が任じられることが多かった。慶応3年(1867)6月に26代奉行の林忠交(請西藩主、千葉県の大名)が病死した後は空席となり、職務は京都町奉行が管轄した。慶応4年(明治元年)(1868)正月3・4日の鳥羽伏見の戦いでは、会津兵や新撰組ら旧幕府側がここを本陣とした。しかし御香宮神社に陣を布いた薩摩兵から砲火を浴びせられ、焼失した。維新後は、明治4年(1871)に新兵(後の近衛兵)が配備され、次いで工兵第16大隊が置かれた。

■観光情報■

所在地:  京都府京都市伏見区西奉行町1−52−52 
アクセス:  京阪本線伏見桃山駅徒歩約5分 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: なし