伏見口の戦い 激戦地跡
伏見口の戦い 激戦地跡
■概要■
鳥羽伏見の戦いが始まる前日、会津藩の先鋒隊が大坂から船で伏見京橋に上陸した
龍馬とお龍像
■見どころ■
寺田屋近くの京橋のふもとに建立された碑。 会津藩先鋒隊がここより上陸、伏見御堂に陣を置いた。対岸斜め向かいには「龍馬とお龍 愛の旅路像」がある。
■歴史■
濠川沿いは問屋、宿屋、酒蔵などが立ち並び、伏見港と呼ばれる荷揚げ場で、特に京橋付近は、千数百隻にもおよぶ舟運で賑わった伏見港の中心だった。
■逸話■
慶応2年(1866年)寺田屋に宿泊していた坂本龍馬は、伏見奉行所の捕り手に囲まれるが、危機を知らせたお龍に助けられ、伏見薩摩藩邸にかくまわれた。斬られた右手を癒すため、お龍と共に九州の霧島へと旅立ったという。
■ガイドパネル■
江戸時代、京へ向かう高瀬舟、大坂へ向かう三十石船、山城へ向かう淀二十石船、宇治へ行く芝船など、千数百隻にもおよび舟運で賑わった伏見港の中心がこの京橋付近です。角倉了以による高瀬川の開削で、洛中と伏見が舟運で結ばれるとさらに発展しました。ここから蓬莱橋北詰を結ぶ南浜の一帯には大名の宿泊する本陣が4軒、家臣が宿泊した脇本陣2軒をはじめ、39軒の旅籠が軒を連ねていました。江戸幕府は伏見を伝馬所として位置づけ、問屋場には人足100人、馬100頭が常時用意され、前の宿場から運ばれてきた公用の荷物を積み替え、次の宿場まで搬送するという継ぎ立組織がありました。一般の荷物を扱う馬借も旅人や荷物で賑わっていました。橋の南詰には三十石船のように運上金によって幕府に公認された過書船を取り締まる「過書船番所」、一般の船を検閲する「船番所」、人足、駕籠、馬借の賃料などを掲示する「船高札場」などが設けられました。幕末の慶応4(1868)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の先鋒隊約200名が大坂から船で伏見京橋に上陸。ここに伏見御堂を宿陣として戦いました。伏見奉行所に陣を置いた幕府軍や新選組が民家に火を放ちながら淀方面へ敗走したので、このあたりの多くの民家が焼かれ、大きな被害を受けました。
■観光情報■
| 所在地: | 京都府京都市伏見区南浜町612 8045 |
| アクセス: | 京阪本線中書島駅 徒歩約5分 |
| 御朱印/御城印など: | - |
| オフィシャルサイト: | なし |