旅と史跡の記録

城南宮

本殿(前殿)

■概要■

鳥羽伏見の戦いの際、薩摩藩兵が陣を置き、鳥羽街道を北上する旧幕府軍と戦闘になった。

朱の鳥居

拝殿

■見どころ■

境内には鳥羽伏見の戦いの解説板が設置されている。

■歴史■

延暦13年(794年)の平安京遷都の際に、国常立尊、息長帯日売命、八千矛神を合わせて祀り、城南大神と崇めたことがはじまり。

■ガイドパネル■

鳥羽伏見の戦い跡:
ここ城南宮から、明治維新を決定づける戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦いが始まった。慶応3年(1867)12月9日の王政復古の大号令で幕府は廃され、前将軍徳川慶喜は12日に京都の二条城から大坂に退いた。しかし、新政府側の薩摩藩の行為に憤激し、慶応4年正月2日、旧幕府兵および会津・桑名両藩の兵からなる大軍が大坂から京に向かった。これに対し朝廷では、薩摩、長州、土佐等諸藩の兵を鳥羽と伏見に繰出し鳥羽では城南宮から鳥羽街道の小枝橋に至る参道に、伏見では御香宮神社付近に陣を構えた。翌1月3日、都を目指し鳥羽街道を北上する旧幕府軍はここ城南宮から南南西500メートルの地点に達し、入京を阻止する薩摩郡と長時間対峙した。夕闇が迫り強行突破の構えを見せるや、城南宮の参道に置かれた薩摩軍の大砲が轟き、続いて伏見でも両軍が衝突、激戦となった。4日も下鳥羽から伏見にかけて戦闘が続いたが、仁和寺宮彰親王が錦の御旗を奉じて御所を出陣との報が伝わり、官軍となった新政府軍の士気は大いに高まった。5日、錦の御旗は鳥羽街道を南に進み、旧幕軍は淀、八幡へ退却、新政府軍の勝利が決定的となった。こうして新しい時代が始まったのである。

■観光情報■

所在地:  京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7 
アクセス:  市バス 城南宮東口バス停徒歩約8分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: あり