寺田屋
寺田屋
■概要■
2つの歴史的事件の舞台となった旅籠。文久2年・薩摩藩士の上意討ち事件、慶応2年・坂本龍馬襲撃事件が起こった。
■見どころ■
鳥羽伏見の戦いの後再建されたという建物や、維新当時からあるという井戸などが残っている。建物の中は見学が可能。
■歴史■
寺田屋は、当時は薩摩藩士の定宿だった。 鳥羽伏見の戦いで焼失しており、現在の建物は当時の敷地の西隣に慶応年間中に再建されたものとされている。
■逸話■
①薩摩藩士粛清事件(上意討ち事件): 文久2年(1862年)、公武合体運動のため上京した島津久光は、倒幕を主張する薩摩藩過激分子の暴発を抑えこもうとする。 これに反発した薩摩藩士・有馬新七、柴山愛次郎、橋口壮介、田中謙助等は、諸藩の尊攘志士と共に、関白・九条尚忠と京都所司代・酒井忠義を襲撃する計画を立てていた。 久光は有馬らを藩邸に呼び戻すように命じ、従わない場合は上意討ちも示唆した。派遣された奈良原喜八郎、大山格之助、道島五郎兵衛等が議論を続けたが、君命に従わないことに激高した道島が「上意」と叫んで田中を斬り付け、斬り合いが始まった。 この騒動で、道島五郎兵衛、有馬新七、柴山愛次郎、橋口壮介、西田直五郎、弟子丸龍助、橋口伝蔵が死亡。田中謙助、森山新五左衛門が重傷たっだが後に切腹となる。②坂本龍馬襲撃事件: 慶応2年(1866年)1月、薩摩藩士として寺田屋に宿泊していた坂本龍馬を、伏見奉行所の捕り方が襲撃した事件。 捕り方に気づいたお龍が危機を知らせ、護衛として同じく寺田屋にいた長州藩士・三吉慎蔵と共に応戦。この時龍馬は、高杉晋作からもらった拳銃を使用したという。 手を負傷した龍馬は三吉と共に寺田屋を抜け出し、材木屋に身を潜めた。三吉が伏見薩摩藩邸へ救援を呼びに走り、龍馬は薩摩藩邸で匿われた。
■観光情報■
| 所在地: | 京都府京都市伏見区南浜町263 |
| アクセス: | 京阪本線中書島駅 徒歩約5分 |
| 御朱印/御城印など: | - |
| オフィシャルサイト: | なし |