旅と史跡の記録

淀城跡

天守台跡

■概要■

弘前城は慶長16年に弘前藩2代藩主・津軽信枚によって築城されました。

稲葉神社

淀城跡碑

内堀

■見どころ■

淀城跡公園として、天守台や石垣、内堀の一部が残っている。また敷地内には淀藩主稲葉家の祖・稲葉正成を祀る稲葉神社、隣地には明治期に遷座した與杼神社がある。

■歴史■

2代将軍・徳川秀忠の命で松平定綱が築城。元和9年(1623)に着工し、伏見城の資材と二条城の天守が移築され、寛永2年(1625)に竣工した。

■逸話■

幕末、鳥羽伏見の戦いで敗走した幕府軍は、淀城で態勢を立て直そうとするが、淀藩家老・田辺権太夫は藩主の不在を理由に入城を拒み、新政府軍に恭順した。入城を拒否された旧幕府軍は八幡・橋本方面へ退却し、陣を置く。石清水八幡宮のある男山の麓や淀川沿いの楠葉台場に布陣した幕府軍だが、対岸の高浜台場を守備していた津藩に裏切られ総崩れとなり、大阪へと敗走した。

■ガイドパネル■

徳川2代将軍秀忠は、元和5年(1619)の伏見城の廃城に伴い、新たに桂川・宇治川・木津川の三川が合流する水陸の要所であるこの淀の地に松平越中守定綱に築城を命じて、元和9年(1623)に着工、寛永2年(1625)に竣工した。翌寛永3年、秀忠・家光父子が上洛の途次にはこの城を宿所としている。寛永10年(1633)国替えにより永井尚政が城主となり、その後、諸大名が次々と入城したが、享保8年(1723)5月、春日局の子孫である稲葉丹後守正和が下総佐倉から淀へ移り、明治維新までの百数十年間、この淀城は稲葉氏10万2千石の居城であった。江戸時代の淀城は周囲に二重三重の濠をめぐらし「淀の川瀬の水車誰を待つやらくるくると」のうたで名高い水車は直径8メートルもあり城の西南北の二ヵ所に取り付けられていた。淀城とその城下町の盛観は延享5年(1748)5月2日に来着した朝鮮通信使(将軍への祝賀使節)の様相を写した「朝鮮聘礼使淀城着来図」に詳しく描かれている。昭和62年夏に天守台の石垣解体修理に伴い、発掘調査が伏見城研究会によって行われ大小の礎石を含む石蔵が発見された。これは四隅に櫓を持つ白亜5層の天守閣の地下室と基礎であり、宝暦6年(1756)の雷火で炎上する以前の勇姿を偲ばせるものである。なお淀君ゆかりの淀城は現在の淀城跡ではなく、この位置から北方約500メートル納所にあったと推定されている。

■観光情報■

所在地:  京都府京都市伏見区淀本町167 168 
アクセス:  京阪本線淀駅徒歩約6分 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: なし