旅と史跡の記録

長州藩邸跡

長州藩邸跡

■概要■

京都ホテルオークラ前に長州屋敷跡の碑と桂小五郎の銅像がある。

■逸話■

池田屋事件の際、重傷を負った吉田稔麿は長州藩邸まで逃れたが中に入れず、門外で自刃したといわれる。また禁門の変(蛤御門の変)の際に被災し焼失した。

■ガイドパネル■

高瀬川一之舟入の南側から御池通までの、河原町通から木屋町通に至る一帯は、江戸時代初期に長州藩(山口県)毛利氏の藩邸が置かれた所で、幕末維新期の重要な政治的拠点となった。藩邸は、初め南北2か所に分かれ、北側屋敷は表口30間(約70m)、裏行31間(約14m)に及んだ。元治元年(1864)の蛤御門の変(禁門の変)で会津、薩摩を中心とする朝廷、幕府側に敗れた長州藩は、自らこの邸内に火を放ち、京都を逃れたが、邸内の放火はたちまち市中に延焼し数日間にわたって燃え続けたという。明治維新後、この藩邸跡は官有となり、明治初年には府下産業の振興を図るため、勧業場が設立され、後に常磐ホテル(京都ホテルの前身)が建てられた。

■観光情報■

所在地:  京都府京都市中京区一之船入町 
アクセス:  地下鉄東西線京都市役所前徒歩すぐ 
御朱印/御城印など:  - 
オフィシャルサイト: なし