八木邸
八木邸
■概要■
新選組発祥の地。最初の新選組屯所跡。
■見どころ■
長屋門や母屋は、文化年間(1804~1818年)の建築物。奥座敷の鴨居には芹沢鴨・平山五郎らが暗殺された時の刀傷が残っている。
■歴史■
八木家は壬生村きっての旧家で、かつて壬生郷士の長老をつとめていた。建物は長屋門が東に開き、その奥に主屋が南面して建つ。長屋門は文化元年(1804年)主屋は文化6年(1810年)の造営とされる。
■ガイドパネル■
ここは、幕末の頃、京都の浪士取締りや治安維持に活躍した新選組の屯所があったところである。文久3年(1863)春、第14代将軍、徳川家茂の上洛警護のため、清河八郎率いる浪士組が入洛したが、その宿舎の一つとして使われたのが、当時壬生村の郷士宅であった八木家の屋敷であった。清河ら浪士組のほとんどは、在京20日余りで再び江戸に戻ったが、当所に分宿していた芹沢鴨、新見錦、近藤勇、土方歳三らは、引き続き京都の警備のため残留し、京都守護職松平容保(会津藩主)の配下に属して新選組と名乗った。 当初新選組は、当屋敷に「新選組屯所」の表札を揚げ、隊士はわずか10数人であったが、次第に隊士が増え付近の屋敷にも分宿した。以後、市中の治安維持に勤め、元治元年(1846)の池田屋事件では、クーデターを起こそうとしていた過激な長州藩士らの一派の計画を未然に防ぎ、一躍その名を洛中に轟かせた。翌年の慶応元年(1865)4月、新選組屯所は西本願寺に移され、翌年には更に南の不動堂村(京都駅北西)に移り、鳥羽・伏見の戦いの直前には伏見奉行所に入った。
■観光情報■
| 所在地: | 京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町24 |
| アクセス: | 阪急線大宮駅 徒歩約8分 |
| 御朱印/御城印など: | 御朱印帳あり |
| オフィシャルサイト: | あり |