旅と史跡の記録

満月山普照院光縁寺

光縁寺

■概要■

山南敬助をはじめ、新選組隊士の墓がある。

■見どころ■

新選組が屯所にしていた八木邸、前川邸の近くにある寺院。 屯所で切腹した隊士など新選組隊士の墓石がある。埋葬された隊士は過去帳・墓石に記載された者で28名。伊東甲子太郎ら御陵衛士は戒光寺に改葬されたという。 また、沖田総司の関係者と言われている女性の墓がある。

■歴史■

慶長18年(1613年)創建。

■ガイドパネル■

「満月山普照院光縁寺と称し浄土宗の寺であり、知恩院の末寺である。創建は慶長18年(1613)頃で、本堂や山門は天明の大火で焼失し、文政2年(1819)に本堂再建され山門は弘化3年(1846)に再建され現在に至っている。本堂には、中央に本尊阿弥陀如来を、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、右脇に善導大師、法然上人を祀っている。(善導大師とは、唐代の中国浄土教の大成者で、法然上人が浄土宗を興すきっかけとなった「観無量寿経疏」を著した僧である)」 「当寺の門前近くに新選組の馬小屋があり、毎日、門前を隊士達が往来し、その中には新選組の山南敬介もいた。山門を見上げれば、瓦に「丸に右離れ三つ葉立葵」の山南家と同じ家紋が目に入った。当時の住職は二十二世 良誉上人で年齢も山南と同じであった。この時代、筵に巻かれた死体が、よく当寺前に放置されていたという。それは葬式を出せない困窮した人達が、この寺の住職がそのような死人であっても分け隔てなく弔っていたのを知っていたのである。この住職 良誉上人と山南敬介との間に親交が生まれたのは当然の成り行きかもしれない。その山南の紹介で、屯所で切腹した隊士達、3人目には山南自身、その後多くの隊士達関係者が良誉上人に弔われ、埋葬されることになった。」(光縁寺案内書より抜粋)

■観光情報■

所在地:  京都府京都市下京区綾小路通大宮西入四条大宮町35 
アクセス:  阪急線大宮駅 徒歩約5分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: なし