旅と史跡の記録

西本願寺(龍谷山本願寺)

西本願寺・太鼓楼

■概要■

長州藩と深い関わりがあり、新選組の屯所も置かれた浄土真宗本願寺派の本山。

阿弥陀堂門

御影堂

■見どころ■

新選組に関する遺構として、太鼓楼がある。

■歴史■

浄土真宗の祖・親鸞が弘長2年(1263年)に亡くなると、京都東山の北、大谷に石塔が建てられ遺骨が納められ、文永9年(1272年)に大谷の西、吉水の北に六角の廟堂が建てられ、遺骨を移したという(大谷廟堂)。その後は本願寺派は各地を渡り、戦国時代を経て、豊臣秀吉の寺地寄進を受けて大坂天満へ、更に現在地の六条堀川へ移転した。

■ガイドパネル■

太鼓楼:
新選組は、「池田屋騒動」(元治元(1864)年)以降隊士が増え、壬生の屯所では狭くなったこともあり、慶応元(1865)年3月10日、屯所を壬生から本願寺に移し、境内に「新選組本陣」の看板を掲げ、北東にあった北集会所とと太鼓楼を使用しておりました。本願寺は長州との深い縁もあり、幕末の尊皇攘夷運動のなかで幕府と対立していた長州藩士たちが、何かにつけて本願寺を頼りにしていたため、新選組は本願寺のなかに本拠を移すことによって一石二鳥の効果をねらったものでありました。新選組は、境内で大砲を響かせたり、実弾射撃をおこなったり、乱暴を繰り返したため参拝の門信徒や僧侶らを震撼させる毎日であったそうであります。新選組の活動期間は6年くらいであり、大部分が暗殺されていった中、結成時からの元隊士、島田魁が明治維新後、本願寺の守衛を勤め、終生お念仏を喜びながら太鼓番をしたという話が伝わっております。明治6(1873)年、北集会所は姫路市の(亀山)本徳寺に一部移設されたため、現在の本願寺に新選組の足跡を見るのは太鼓楼だけであります。

■観光情報■

所在地:  京都府京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町 
アクセス:  J京都駅徒歩約17分 
御朱印/御城印など:  あり 
オフィシャルサイト: あり