土方歳三資料館
新選組最後の洛中屋敷跡
■概要■
新選組の屯所屋敷があったことを示す碑
■見どころ■
ハトヤ瑞鳳閣ホテル前に碑が建てられている。屋敷の正確な位置は不明だが、この碑より西北の地に相当すると考えられるという。また新選組不動堂村屯所を示す碑は、少し離れたリーガロイヤルホテル前にも建てられている。
■ガイドパネル■
当地は古代の表記でいえば、平安京左京八条二坊十五町にあたります。中世には八条院町とよばれ、鋳物生産が多数行われたいわば工業地帯でした。が、戦国時代には農村化し、江戸時代までに葛野軍不動堂村が成立しました。しかし豊臣期に構築された、京都全域を囲い込む城壁・環濠「御土居堀」の郭内に位置していたため、「洛中」(都市)扱いを受けました。幕末期、新選組がこの地域に屋敷を営みました。池田屋事件や禁門の変などでの活躍や、局長近藤勇の政治的力量が高く評価され、慶応3年(1867)6月、将軍徳川慶喜の直属の軍隊となりました。これにあわせての新屋敷建設です。いわば最盛期の邸宅といえます。近藤勇の甥で隊士だった宮川信吉の書翰によれば、同年6月15日に入居しています。位置については同書翰に「七条通り下ル」、幹部永倉新八の手記に「七条堀川下ル」とあり、当地付近に営まれたことは確実です。 が、厳密な場所や規模、建物構造などについては信用に足る史料が少なく、不明です。価値の低い記録による復元・叙述は、極力さけなければなりません。同年12月の王政復古政変により、新選組はわずか半年で当屋敷を離れます。翌年1月の鳥羽伏見戦争の敗北ののちは、関東へ下り、解体の道を歩みます。当屋敷は維持されず早々に消失して、静かな農村に戻ったことでしょう。が、明治になり、当地付近は、地域史上はじめて京都屈指の「人の集まる場」となり、今に至ります。
■観光情報■
| 所在地: | 京都府京都市下京区南不動堂町 |
| アクセス: | JR京都駅徒歩 約4分 |
| 御朱印/御城印など: | - |
| オフィシャルサイト: | なし |